大判例

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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1228号 判決 1982年5月19日

控訴人 鈴木敬子

右訴訟代理人弁護士 八重樫和裕

右訴訟復代理人弁護士 甲田通昭

被控訴人 日本生命保険相互会社

右代表者代表取締役 弘世現

右訴訟代理人弁護士 三宅一夫

同 坂本秀文

同 山下孝之

同 杉山義丈

同 長谷川宅司

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める判決

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金一三〇〇万円及びこれに対する昭和五五年一月一〇日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言。

二  被控訴人

主文と同旨。

第二当事者の主張

次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人

1  シンナー等有機溶剤の有害性に対する少年の認識及びその程度について

(一) 北海道立精神衛生センター研究調査部長の職にある小片基は、シンナー等有機溶剤の有害性に対する少年らの認識等の実態調査をした結果として、その認識の程度は、「仮に有害性があっても、たばこ程度である、シンナーはうんと吸いすぎると死ぬようなことがあるかも知れないけれども、そんなことはもっと非常にものすごい量が多くなったときであって、まあ大したことはないさ、というような感じである。」、「有害性はどんなふうに悪いんだと聞きますと、私どもが期待するような有害性を返答してくれる子供はほとんどいない。」、「私どもが面接をして有機溶剤を乱用している少年から聞く範囲での有害性は、非常にばく然としたことを知っているにすぎませんね。むしろいい臭いであると、吸ってそんなに毒が強いのかと、非常に疑問を持っている子供らが多いのではないだろうかというふうに思われる。」などと当審で証言している。

(二) その理由として、同証人は、一つには統計に現われる以上にシンナー等は乱用されており、乱用者数は統計上の数字の約七倍から八倍おり、確実に少年らの間にまん延しているといえること、二つには今まで行われてきたシンナー等有機溶剤の有害性についての啓蒙活動や方法は、ほとんど有効性をもたずに終っており、むしろ、これから啓蒙方法等について研究をせねばならない状況にあること、三つにはシンナー乱用が飲酒・喫煙等の多くの非行形態の一つであり特別なものではないこと、四つには少年の親たちの有害性の認識及びその程度をみると、たばこを吸う程度にしか考えていない親が非常に多いこと、更に、甲第七号証の事故(札幌の地下鉄工事現場で、トルエンを含有する塗料中毒によりアルバイトの大学生が死亡した)などからすると、大学生や業者の人にさえ、「シンナー・ボンドの有機溶剤の類の有害性が、口で語られているほどに、果して実感として深く認識されているのか」疑問だということなどを指摘している。

(三)(1) (一)、(二)に整理した小片証人の現場からの報告は、まさに控訴人の主張を裏づけるものである。控訴人も認めているとおり、シンナー等有機溶剤は有毒物質であり、死の危険を有している薬剤である。しかし、このことが本件で死亡した一五才の少年らや、その親あるいは一般社会人の中でどれだけ「実感」として受け取られているかという点については、前記小片証人の指摘する程度にとどまっているのであり、特に少年らに対しては、有機溶剤の有害性を知らしめる方法を考え直さねばならないという困難な状況にあるのである。

(2) 客観的にいかに有毒な物であっても、それを熟知しない者にとってはその認識の量及び程度に見合う程の有毒物質でしかないのであり、小片証人その他の書証によって明らかとなった少年らのシンナー等有機溶剤に対する有害性の認識及びその程度は、たばこと同程度という「実感」の伴わないものであり、この様な認識(予見)しかない者の事故死をして、重過失ありと断定するのは誤りである。

本件の具体的事案をみると、訴外森田が他の三人の生命の保証人的立場にあったにもかかわらず寝込んでしまっているが、それは同人に当該吸引行為の危険性が「実感」されていなかったからにほかならない。

(3) 被控訴人は、訴外光幸が補導された時、警官にシンナー等の有害性を説諭されたはずであり、したがって有害性の認識は十分付与されていたと主張しているが、一体どの様な説諭があったか不明であるばかりでなく、もしなされていたにしても、その様なフォーマルな形での少年へのアプローチがほとんど有効性をもたないことは小片証人も述べているとおりであり、これをして有害性の認識が十分付与されたと断ずるのはナンセンスである。

(4) 本件は一五才の少年の事故であり、一五才の少年の物の考え方や知識の程度が問われるのである。我々本件訴訟に携る者がどこまで一五才の少年の意識に迫ることができるか疑問なしとしないが、現在、現場で少年らと接している小片証人の証言は、その意味で十分評価されねばならない。

2  本件契約締結の経緯

(一) 本件契約は、訴外光幸が左官工という危険な職に就いたことから、控訴人と被控訴人の勧誘員である奥野が話し合い、右奥野の勧めにより契約を締結するに至ったのである。

したがって、控訴人が本件契約を締結した動機が訴外光幸の身体の危険に備えたものであることが明確となっていたのであるから、勧誘員としては重過失が免責条項となっていることをよく説明せねばならない。特に、右免責条項は控訴人に不利益で、被控訴人に利益となる条項であるから、一層説明の要は強いところである。

にもかかわらず、右免責条項についての説明は契約締結時に一切なされておらず、訴外光幸が死亡してから話に出てきたにすぎない。控訴人は、一般的知識として自殺の場合に保険金が出ないことがあることを知っていたにすぎないのである。

(二) 控訴人の右知識は一般的なものであり、通常の社会人はその程度の法的知識しか有していない。したがって、この一般人の知識を越え、保険者に有利で被保険者に不利益である契約条項は、契約締結時において十分説明されねばならず、単に契約書に記載されているからといって、ストレートに右条項を文言通り適用するのは一般人の信頼を害することになるし、生命保険そのものに対する信頼をも害することにもなる。

その意味で、免責条項である重大な過失は、契約時において契約当事者間にて正確に説明・理解されておらない限り、一般人の知識に合致する如く、自殺に準じて、厳格に解すべきで、民法の通常の用語例とは異って解されるべきである。

(三) 結局、右で述べた如き重大な過失が存しない本件にあっては、当然保険金の支払がなされるべきである。

二  被控訴人

控訴人の前記主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

当裁判所も、原判決どおり控訴人の請求は失当であり、棄却すべきであると判断するものであって、その理由は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決六枚目裏三ないし一一行目の全文を次のとおり改める。

請求原因一の事実、《証拠省略》によれば、本件契約は請求原因一の保険契約約款に基づき締結されたこと、右約款には、被保険者の死亡が同人の「重大な過失」によるときは、被控訴人は死亡保険金及び災害死亡保険金を支払わない旨定めていることが認められる。

二  原判決八枚目裏五行目の「他の三名が」を「他の三名と共に」と、同九行目の「訴外森田英幸が寝てしまった。」を「自分もそのシンナーの蒸気を吸い、そのため酩酊状態となり眠気を催して寝てしまった。」と各改め、同一二行目の「訴外山田、同国分は」の次に「シンナー吸引による急性中毒のため」と加え、九枚目表一行目の「亡していた。」の次に「その死因は、シンナー吸引による呼吸麻痺に基づく急性中毒死であり、共にシンナーを吸引していた訴外山田、同国分は、いずれも入院後意識を回復したが、右国分はその際のシンナー吸引の影響により胸と腕の皮膚が黒くなり、同年七月一九日当時痰がつまり咳が出るという軽い後遺症を残した。」を加える。

三  原判決九枚目裏一行目の次に、次のとおり加える。

(4) 前記(二)(6)、(7)認定のように、「ふり」という方法によりシンナーを吸引することは、濃厚なシンナー蒸気が布団内の狭い空気中に充満し、しかも酸素が欠乏するために、極めて危険な行為であって、そのまま寝込むときは呼吸麻痺により死亡する可能性が極めて高いものであること、したがって、訴外光幸の右死亡も偶然の事情が加わったがためのものではないこと。

四  原判決一〇枚目表六行目の次に「ちなみに、我が国の昭和五〇年から昭和五四年までのシンナー等有機溶剤乱用による死亡者は、自殺者を含めて二九九名(年平均五九・八名)で、そのうち北海道においては六六名(年平均一三・二名)の多数に上っている。」を加える。

五  控訴人は、シンナー等有機溶剤の有害性に対する少年らの認識及びその程度は、たばこを吸うぐらいにしか考えていない低いものであるなどと主張し、《証拠省略》中には、控訴人の右主張に沿う供述部分も存在する。

しかし、他方、《証拠省略》を総合すれば、北海道衛生部薬務課の主催で昭和五四年七月ごろ北海道の約一七〇〇名の中学・高校生に対しシンナー等有機溶剤の有害性に関するアンケート調査をした結果、その八五パーセント以上の者が有機溶剤について有害であることを知っているとの回答をしているが、右調査に関与した証人小片基は、調査中、右有害であることを知っていると回答した中学、高校生の認識している有害性の程度、内容について、それはたばこ程度であって、たばこは大人も吸っており大したことはないが、シンナーはうんと吸うと死ぬようなことがあるかも知れないというものであるとの実感をもったこと、また、右調査の結果、三パーセント強の者が有害とは思わないと答えているが、これらの者は中学一、二年の低学年に比較的多く、それらの者はいまだ有害性を知らされていないとみられることが認められる。

六  原判決一〇枚目裏四行目から一一枚目表九行目までの全文を次のとおり改める。

ところで、《証拠省略》によれば、訴外光幸は昭和三九年一月一五日生れで、同五四年三月には中学校を卒業し、死亡当時の年令は一五年六月であったことが認められるから、既に是非善悪を弁別する能力を具えていたものといえるし、同人が先に何回もシンナーを吸引して補導され、シンナーの危険性を知らされていたことは引用部分認定のとおりであり、前認定のとおり北海道におけるシンナーによる死亡者が年平均一三人にのぼり、これらの死亡事故は新聞(例えば甲第七号証の新聞記事)等により報道されたものと解され、かつ、前認定のとおり、小片基が、シンナーの有害性を認識していた多数の中学、高校生も、シンナーは吸いすぎると死ぬようなこともあるかも知れないということは知っていたとの実感を持ったことを総合すると、訴外光幸も、シンナーの吸引は場合により死に至ることもあるとの点についての認識を有し、更に、シンナー吸引の経験者(引用の原判決理由二2(二)(1)、(2)、(3))として、少なくとも、シンナー吸引により酩酊状態となって眠気を催すこと、濃厚なシンナー蒸気を長時間に亘り多量に吸引すると心身に、より危険であるという程度の認識は有していたものと推認できる。

ところで、本件死亡の原因となった「ふり」という方法は、シンナーを浸したタオルを振るのであるから、自然の気化を待つ方法に比して大量、迅速に濃厚なシンナーの蒸気が発生するものであり、しかも、これが布団の中という密閉された狭い範囲で行われると、そこに新鮮な空気が流入せず、濃厚な蒸気が充満するに至ることは、極めて当然のことである。また、そのタオルを振る者も、他の吸引者と共に布団の中に頭を入れていたのであるから、全員が同時に酩酊状態となり、布団から外に出ることも、新鮮な空気を流入させることもできなくなって、濃厚なシンナー蒸気を長時間に亘り多量に吸い続けることになる可能性もある訳である。そして、シンナー吸引の経験者であり、その危険性について前記の認識を持っている訴外光幸としては、右「ふり」という方法について右認定の程度の危険性は認識していたものと解される。

ところで、訴外光幸は死亡直前に用いた「ふり」の方法によるシンナー吸引が、死亡に至る可能性があることを具体的に知っていたことまでも認定するに足る証拠はない。しかしながら、シンナー吸引により死亡することもあること、濃厚なシンナー蒸気を長時間に亘り多量に吸引することは心身により危険であるとの認識を有する訴外光幸としては、密閉させた狭い布団の中で、濃厚なシンナー蒸気を長時間に亘り多量に吸引することになる「ふり」の方法を用いるに当り、これが死亡に至る可能性があることを知り、このような方法による吸引を取止めることができた筈であり、これを取止めなかったことについて訴外光幸には過失があると言わなければならない。そして、シンナー遊びが違法有害であることを知っていた訴外光幸の右過失は、重大な過失というべきである。

そうすると、被保険者訴外光幸の死亡は本件契約約款にいう「重大な過失」によるものであるから、被控訴人は本件の死亡保険金、災害死亡保険金を支払う義務はなく、控訴人の本件請求は理由がない。

七  控訴人は、被控訴人と本件生命保険契約を締結した際、被控訴人の保険勧誘員から「重大な過失」が免責条項となっていることの説明を充分受けておらず、右「重大な過失」は「自殺」に準ずる場合を指すなどこれを厳格に解すべきであると主張するが、控訴人が本件契約締結の際、被控訴人の勧誘員から本件契約約款に定めている重過失免責条項につき何らの説明を受けていなかったとしても、そのために右条項が適用されなくなるものではないし、また、「重大な過失」の内容、程度を通常の用語例と異別に解釈し、「自殺」に準じて厳格に解すべきものであるということはできない。したがって、控訴人のこの点の主張も採用できない。

よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 広岡保 井関正裕)

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